1973年 |
第1次オイルショックによる紙不足に対して、生活クラブ組合員に よる故紙回収運動をきっかけにゴミ問題の取り組みが始
まる
10月 「新しい社会を創る婦人の会」結成 :チルコロ文庫の活動開始
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1974年 |
「故紙・ゴミ検討委員会」による故紙回収運動開始 |
1978年 |
「ゴミ委員会」(「故紙・ゴミ委員会」改称):生活クラブ独自の有価物(ビン・・)回収実験の開始 |
1979年 |
「ゴミ収集および有価物回収に関する請願書」提出。署名数5500筆。ほとんど審議されぬまま1年6ヶ月後に不採択。 |
1980年 |
「ゴミ問題を考える保谷市民の会」結成 :「保谷の市」の開始
生活クラブの枠を越え市民のゴミ問題の提案
「保谷市民による政策づくり実行委員会」結成:ゴミ問題を越えて、市民によるまちづくり政策の検討が始まる
東京における「グル−プ生活者」結成。保谷も東京会議に参加する。
12月 81年1月に実施される市長選に対し「保谷市民の手によるまちづくり公開討論会」を開催。
請願、陳情、その他こうした市民の様々な要望に対して議会はほとんど動かず、
問題の解決につながらなかった。そこで生活クラブ中心に、市民の声を直接議
会に届ける代理人をつくろうと立ち上がった。 |
1983年 |
1月 初代代理人、坪井氏誕生(1615票獲得、26人中4位)
ゴミ問題を考える市民(保谷の市など)を中心に組織化し、代理人を誕生させた。
3月 支部大会において、「グル−プ生活者」が代理人の歳費管理をすることが可決された。
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1984年 |
1月 「新しい社会を創る婦人の会」を発展解消し、保谷「グル−プ生活者」を結成。第一回総会開催 |
1987年 |
坪井氏・2期目の誕生−1941票獲得し、トップ当選 。
生活クラブの代理人から市民の代理人の位置付けをし、市民が使える政治機能の充実を目指した。 |
1988年 |
2月 東京・グル−プ生活者が東京生活者ネットワ−クに改称される。
保谷でも、「保谷・グル−プ生活者」を再編し、「保谷・生活者ネットワ−ク」と改称
6月 資源分別回収が行政回収で開始 市民団体(生活クラブ)の継続した活動の成果である。 |
1989年 |
1月 坪井氏市長選に挑戦−3人中2位で惜しくも落選。
市議補選に鈴木美紀氏誕生−結果としてロ−テ−ション実現
9月 「食品安全条例の制定を求める直接請求」を都議会に提出 |
1990年 |
3月 東京・生活者ネットワ−ク、三回総会において、代理人はネットワ−ク運動の中の議会担当者であることと代理人の「ロ−テ−ション制」の提案がされ、決定された。 |
1991年 |
鈴木(1498)、茂木(1732)両氏が誕生
独自会派結成を目指し代理人の複数化を目指した |
1992年 |
6月 「リサイクル条例(保谷市資源の再利用の促進に関する条例)制定の直接請求」を
実施。一語を修正のうえ、市民の条例案が全会派一致で可決された。有権者数の1/8
を必要とする署名数をはるかにこえる14,000筆を集め、市民の関心の高さを示した。 |
1993年 |
1月 市長選の取り組み−自民・公明が推す保谷氏と共産・社会の推す都丸氏の中で、ネット内の激しい議論の後、よりベタ−な選択として、前回対立候補である都丸氏を推薦する事とした。
3月 社会福祉法人「悠遊」の設立とディサ−ビス"いずみ"が保谷市より事業委託を受ける。これは自治体事業における市民セクタ−の参入として大きな一歩である。 |
1995年 |
1月 鈴木(1002)、茂木(1317)、金見(1232)氏3名に:3541票(9.15%)獲得
3常任委員会に参加することにより、情報公開の推進と充実、市民参加の拡大を図った。 |
1997年 |
市長選の取組み
「市民で市長をつくる会」を組織し、市民が主体的に進める市長選を実施。
代理人を含む9人の議員を結集したが、候補者を出すに至らなかった。 |
1998年 |
99年市議選に向けて政策づくりを開始。
これまで福祉や環境になどかぎられていた政策を、20年余の歴史を持つ、政治集団としての責任を持とうと、行政の全分野に拡大して作成する。 |
1999年 |
市議選において茂木、金見、森下の3氏を擁立するも、茂木(1203票、22位)森下(1554票、8位)のみ当選
市議選では、初めての敗北を経験する。
介護保険調査、保育ニーズ調査を行う。 |
2000年 |
子どもの権利条例制定を求める請願に取り組む(保谷集計6204筆)
・ネット活動への参加を多様にするため、サポーター制度を置く
・有償の専従事務局長を置く
以上2点は東京ネットの先行する保谷ネット独自の判断だった。それぞれ東京よりも一年早く実施している。 |
2001年 |
1月 田無ネットとの合併に伴い解散 |